WORLD HERITAGE LAB

マチュピチュの水路の
仕組みとは

山の上の街に水を届け、雨から守った。500年動き続けるインカの水のしくみ

マチュピチュについて調べていて、「山のてっぺんの街で、水はどこから来ていたんだろう?」と気になったのが、この記事を書いたきっかけです。調べてみると、インカの人たちは泉から水を引く水路だけでなく、大雨から街を守る排水のしくみまで作っていて、しかもその多くが今もちゃんと働いていると知って驚きました。この記事では、アメリカの水道技術者たちが行った調査の数字をもとに、マチュピチュの水のしくみをできるだけ分かりやすく紹介します。

マチュピチュ全体の歴史や見どころはマチュピチュとは?歴史と見どころをご覧ください。

※この記事にはPRを含みます。

この記事で分かること

  • マチュピチュの水はどこから来ていたのか
  • 約750mの水路と16の泉のしくみ
  • 年間2,000mm近い雨から街を守る排水の工夫
  • 段々畑の地下に隠された4層の構造

マチュピチュの水路の仕組み

マチュピチュ遺跡の花崗岩を彫って作られたインカの水路と、注ぎ口から水が流れ落ちる石造りの泉
石を彫って作られた水路と泉※イメージ

水源は山の斜面の泉

マチュピチュの水は、遺跡の北にあるマチュピチュ山の斜面からわき出る泉から来ていました。泉に水を集める範囲は約16haほどで、インカの人たちは泉のまわりに石の壁を作り、わき水を効率よく集められるようにしていました。

わき出る水の量は季節によって変わり、1分間に25〜150Lほどと推定されています。雨の少ない時期でも枯れにくい泉を選んだからこそ、この場所に街を作れたと考えられています。

WATER DATA

水路の長さ
約749m

水路の傾き
約3%

泉(水くみ場)の数
16

年間の雨の量
約2,000mm

排水口の数
129

全長約750mの石の水路

泉から街までは、全長約749mの水路で水を運びました。水路は石を組んで作られ、傾きは約3%で、100m進むと3mほど下がる、ゆるやかな坂になっています。

急すぎると水があふれたり水路が削れたりし、ゆるすぎると水が流れません。調査では、水路は1分間に約300Lの水を流せるように作られていたと考えられていて、泉の水の量にぴったり合った設計だったことが分かっています。

16の泉が並ぶ理由

街に入った水は、階段にそって作られた16の泉(水くみ場)に、上から順番に流れ落ちます。それぞれの泉には石を彫った注ぎ口があり、水がちょうど壺に入れやすいように落ちる作りになっていました。

いちばん上の第1の泉は、皇帝の住まいとされる建物のすぐそばにあります。つまり、いちばんきれいな水は皇帝が使い、そのあと下の泉へと水が回っていくしくみだったんですね。

皇帝の住まいと水の順番

第1の泉のすぐ下には、太陽の神殿があります。水の流れる順番が、皇帝、神殿、そして街の人々という身分の順番と重なっているのは、偶然ではないと考えられています。水は生活に欠かせないだけでなく、神聖なものとしても大切にされていました。

豆知識

第1の泉から最後の泉まで流れた水は、そのまま排水路へ流れ出ます。上で使った水を下でまた使う、むだのない流れになっていました。

水路の傾きを決めた技術

インカには、今のような測量の機械はありませんでした。それでも約3%という一定の傾きを保てたのは、水を少しずつ流しながら高さを確かめる方法や、ひもとおもりを使った道具で傾きを測っていたからではないか、と考えられています。

水路が最初に作られ、それに合わせて街の建物の配置が決められた、という見方もあります。水の通り道が、街の設計図のスタート地点だったのかもしれません。

マチュピチュの水路と排水の工夫

マチュピチュの急な山の斜面に階段状に広がる段々畑と、雨水を地下へ逃がすインカの石積みの壁
雨水を地下に逃がす段々畑※イメージ

年間2000mmの雨と戦う

マチュピチュは、年間2,000mm近い雨が降る場所です。東京の年間降水量が約1,500mmなので、それよりかなり多いですね。急な斜面にたくさんの雨が降れば、ふつうは土砂崩れが起きてしまいます。

そこでインカの人たちは、水を「引く」しくみと同じくらい、水を「逃がす」しくみに力を入れました。調査をした技術者たちは、マチュピチュが500年以上崩れずに残っているのは、この排水のおかげだと考えています。

雨季と乾季で変わる水の量

マチュピチュには、11月〜3月ごろの雨季と、5月〜9月ごろの乾季があります。雨季には泉の水も増えますが、乾季には少なくなります。調査では、泉の水が少ない時期でも、16の泉で生活に必要な水をまかなえる量だったと考えられています。

住んでいたのは数百人から1,000人ほど。泉の水の量に合わせて、住める人数も決まっていたのかもしれません。水の量が、街の大きさの上限を決めていたと考えるとおもしろいですね。

129の排水口と大排水路

遺跡の壁や建物には、129の排水口が作られています。多くは10cm×13cmほどの小さな穴で、雨水を建物の外へ流し出します。街の中央には、農業の区域と住む区域を分ける大排水路があり、集まった水をまとめて谷へ流していました。

中央の広場の下には、厚さ約1mにもなる砕いた石の層があり、雨水が地面にしみこみやすくなっています。地面の上と下の両方で水を流していたんですね。

段々畑の地下は4層構造

マチュピチュの段々畑(約4.9ha)は、ただ土を盛っただけではありません。地下は次のような4つの層になっています。

STEP 01

いちばん下:大きな石
重さを支え、たまった水を流す土台

STEP 02

2層目:砂利
水をすばやく下へ通す

STEP 03

3層目:砂の多い土
土が下へ流れ出るのを防ぐ

STEP 04

いちばん上:表土
作物を育てるための栄養のある土

雨水は上から下へすっと抜け、畑に水がたまって崩れるのを防ぎます。一方で、作物に必要な水分は表土にほどよく残る、よく考えられた作りです。この地下の基礎は、石積みの記事で紹介した「建設の6割は地下」という話にもつながっています。

マチュピチュの水路のまとめ

マチュピチュの水路は、山の泉から約749mの石の水路で水を引き、16の泉に順番に流すしくみでした。そして、年間2,000mm近い雨から街を守るため、129の排水口や大排水路、4層構造の段々畑で水を逃がしていました。水を「引く」ことと「逃がす」ことの両方を考えていたからこそ、マチュピチュは500年たった今も残っているんですね。

16の泉は今も遺跡の中で見ることができます。実際の水の流れを見てみたい方は、ツアーから旅の計画を立ててみるのもおすすめです。PR

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マチュピチュの水路の長さ・16の泉・段々畑の4層構造をまとめたインフォグラフィック
図で見るマチュピチュの水のしくみ※イメージ

自由研究にチャレンジ!

記事の本文には書いていない豆知識をクイズにしました。タップすると答えが開きます。

【小学生むけ】知ってた?マチュピチュの泉の水は今も流れている?

答え:はい、今も流れている泉があります。

インカの人たちが作った水路は、修理を加えながら今も一部で水が流れています。500年以上前の設計が、今もそのまま役に立っているんです。

調べ方のヒント:ペットボトルとストローで小さな水路を作り、傾きを変えると水の速さがどう変わるか比べてみよう。

【中学生むけ】知ってた?インカの水の技術は、ほかの遺跡でも見られる?

答え:クスコ近くのティポンという遺跡が特に有名です。

ティポンには、段々畑に水を配るための水路や、きれいに水が流れ落ちる石の滝が残っていて、「インカの水の庭」とも呼ばれます。インカの人たちは、水をあやつる技術を帝国のあちこちで使っていました。

調べ方のヒント:ティポンとマチュピチュの水のしくみを調べて、どちらが「農業用」「生活用」に向いているかまとめてみよう。

【高校生むけ】知ってた?段々畑は、場所によって温度がちがう「実験場」だった?

答え:インカのほかの遺跡では、そう考えられている例があります。

クスコの北にあるモライ遺跡には、円形に掘り下げた段々畑があり、上と下で温度が数℃ちがうことが分かっています。高さによる気温の差を利用して、作物の育ち方を調べていたのでは、という説があります。

調べ方のヒント:モライ遺跡の温度差の研究を調べ、標高と気温の関係(100mで約0.6℃下がる)と比べて考察してみよう。

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