UNESCO 世界遺産

飛鳥・藤原の宮都
日本が「国家」になった聖地を歩く

奈良県 / 2026年登録審査中 / 19の構成資産

「石舞台古墳の写真を見たとき、なんでこんな巨石がむき出しになっているんだろう、という疑問が頭から離れなくて。調べていくうちに、飛鳥時代の政変・仏教・律令国家の誕生…まるでドミノ倒しのように歴史がつながっていって、気づいたら一日中調べていました。」

飛鳥・藤原の宮都とは?
奈良県明日香村・橿原市・桜井市に点在する19件の考古学的遺跡群。飛鳥時代(592〜710年)に、日本列島で初めて中央集権国家の宮都が誕生した過程を、宮殿跡・寺院跡・古墳の3類型で丸ごと証明できる世界唯一の資産群です。2026年7月の世界遺産委員会で最終審議が行われます。

第I章 飛鳥・藤原の宮都とはどんな世界遺産か

世界遺産の申請書に書かれた価値の核心は、「東アジアの古代国家形成期において、中央集権体制が誕生・成立した過程を、2つの連続する時代の宮都の変遷から示すことができる唯一無二の資産群」という一文に尽きます。

「古代国家が生まれた瞬間の遺跡」は世界各地にありますが、誕生の過程をここまで連続して読み取れる場所は飛鳥・藤原以外にほぼ存在しません。この点がICOMOS(国際記念物遺跡会議)に高く評価され、2026年6月6日に「記載(登録)」適当という勧告が出されました。

世界遺産登録基準

基準 (ii)
建築・都市計画・景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値観の交流を示すもの。
→ 中国・朝鮮半島から伝わった統治モデルが日本列島の国家形成に与えた影響を体現している。
基準 (iii)
現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統の存在を伝承する物証として無二の存在。
→ 「日本」という国家と「天皇中心の律令制度」が誕生したことを証明する唯一の考古学的証拠群。

19の構成資産一覧

正式推薦の構成資産は、飛鳥の宮都(12件)と藤原の宮都(7件)に大別されます。

飛鳥の宮都
資産名
種別
01
飛鳥宮跡
宮殿・官衙跡
02
飛鳥京跡苑池
宮殿・官衙跡
03
飛鳥水落遺跡
宮殿・官衙跡
04
酒船石遺跡
宮殿・官衙跡
05
飛鳥寺跡
仏教寺院跡
06
橘寺跡
仏教寺院跡
07
山田寺跡
仏教寺院跡
08
川原寺跡
仏教寺院跡
09
檜隈寺跡
仏教寺院跡
10
石舞台古墳
墳墓
11
菖蒲池古墳
墳墓
12
牽牛子塚古墳
墳墓
藤原の宮都
資産名
種別
13
藤原宮跡
宮殿・官衙跡
14
大官大寺跡
仏教寺院跡
15
本薬師寺跡
仏教寺院跡
16
天武・持統天皇陵古墳
墳墓
17
中尾山古墳
墳墓
18
キトラ古墳
墳墓
19
高松塚古墳
墳墓
📝 メモ

「22の遺跡」という表現を目にすることがありますが、2025年1月の正式推薦書に記載された構成資産は19件が正式です。旧来の広報資料では異なる数え方をしていたことがあるため、記事・SNS等では「19件」に統一しましょう。

第II章 飛鳥時代の歴史をざっくり理解する

飛鳥時代とは、592年に推古天皇が即位してから710年に都が平城京へ移るまでの約120年間を指します。この短い期間に、日本という国家の骨格がほぼ完成しました。

飛鳥宮跡の発掘現場と復元模型 奈良県明日香村 飛鳥・藤原の宮都世界遺産
飛鳥宮跡。乙巳の変(645年)の舞台となった、日本国家形成の中枢。

飛鳥時代の主要な出来事

  • 592年
    推古天皇即位(日本初の女帝)。聖徳太子が摂政として蘇我馬子とともに政治を主導。
  • 596年
    飛鳥寺完成。東アジア最新技術を用いた日本初の本格的仏教寺院。
  • 603年
    冠位十二階制定。氏族の血筋ではなく能力・功績で官人を評価する制度の萌芽。
  • 604年
    十七条憲法制定。仏教・儒教に基づく道徳的国家理念を明文化。
  • 645年
    乙巳の変。中大兄皇子が蘇我入鹿を飛鳥宮跡(現・明日香村)で討つ。大化の改新へ。
  • 694年
    藤原京遷都。瓦葺礎石建築・計画都市として中央集権体制の完成形が姿を現す。
  • 701年
    大宝律令完成。「日本」国号が初めて法律で定められ、天皇中心の律令国家が正式に誕生。
  • 710年
    平城京へ遷都。飛鳥・藤原の時代が幕を閉じる。
ここがポイント
飛鳥・藤原が他の古代遺跡群と異なる点は、「国家が完成した後」ではなく「国家になっていく過程」を丸ごと見られることです。ICOMOSも「律令国家が形成されていく途中を示す点で比較上優位」と評価しました。

第III章 主要構成資産を歩く

飛鳥宮跡 ― 大化の改新の舞台

7世紀に4時代にわたって使われた宮殿の遺跡です。630年に舒明天皇が建てた岡本宮に始まり、645年の乙巳の変(蘇我入鹿討伐)もここで起きたとされます。掘立柱建築から瓦葺建築へ変遷する様子が、地下に重なって残っている点が学術的に極めて重要です。

藤原宮跡 ― 最初の「計画都市」の証拠

694〜710年、持統・文武・元明天皇が使用した日本初の本格的都城。一辺900mの宮城が、高さ5.5mの大垣に囲まれた形で大和三山のほぼ中央に置かれました。飛鳥の宮殿が掘立柱中心だったのに対し、ここでは中国風の瓦葺礎石建築を全面採用。宮殿と官衙(役所)が一体化した中央集権体制の完成形を示しています。

📝 大和三山について

香久山・耳成山・畝傍山の3つの山は19構成資産には含まれませんが、藤原宮の選地における視覚的軸線として、ICOMOSも世界遺産の価値を理解するうえで重要な景観要素と認めています。

石舞台古墳 ― 蘇我馬子の墓?

国内最大級の方墳で、巨大な天井石が露出した横穴式石室が圧倒的な存在感を放ちます。一辺約50mの方墳の上部が削り取られ、凝灰岩の巨石30個(推定総重量2,300トン)がむき出しになっている状態が現在の姿です。624年に死去した蘇我馬子の墓という説が有力ですが、学術的には未確定です。

石舞台古墳 横穴式石室 奈良県明日香村 飛鳥・藤原の宮都
石舞台古墳。巨石を積み上げた横穴式石室は、飛鳥を代表するランドマーク。

キトラ古墳・高松塚古墳 ― 東アジア最古級の壁画

キトラ古墳の石室壁画は、青竜・朱雀・白虎・玄武の四神、十二支、そして東アジア全体でも現存最古の精密な星図を含む、古代人の時空認識が凝縮された傑作です。高松塚古墳の壁画は1972年に発見され、高句麗・唐の影響を受けながら日本独自の美意識を示す古代絵画史上の最高峰とされています。

⚠️ 注意

両古墳の石室内部は非公開です。キトラ古墳はすぐ隣の「四神の館」で原寸大レプリカと壁画実物(公開時期限定)を鑑賞できます。高松塚古墳は「高松塚壁画館」でレプリカが常時公開されています。

飛鳥寺跡 ― 日本初の本格仏教寺院

596年完成。蘇我馬子の発願により東アジアの最新技術を駆使して建てられた、日本最古の本格的伽藍です。現在は飛鳥寺として残っており、日本最古の仏像「飛鳥大仏」(銅造釈迦如来坐像、609年)を拝観できます。

第IV章 2026年 世界遺産登録の最新情報

2026年6月6日現在のステータス
ICOMOSが「記載(登録)」適当と勧告を発出。第48回世界遺産委員会(2026年7月19〜29日、韓国・釜山)で最終審議・採決が行われます。ICOMOSが「記載」を勧告した案件はそのまま登録されることが多く、登録の可能性は極めて高い状況です。
時期 出来事
2007年 ユネスコ世界遺産暫定一覧表へ記載
2025年1月28日 日本政府が正式推薦を閣議了解・ユネスコへ推薦書提出
2025年9月 ICOMOS現地調査実施
2026年6月6日 ICOMOSが「記載」適当と勧告
2026年7月19〜29日 第48回世界遺産委員会(釜山)で最終審議・採決
📝 ICOMOSが求めた継続課題

登録に値しないという意味ではなく、登録後も求められる管理水準として、藤原宮跡の全域史跡指定の完了、石舞台古墳周辺の交通振動モニタリング、キトラ・高松塚両古墳壁画の保存研究継続などが示されました。

第V章 アクセスと観光情報

大阪・奈良からのアクセス

出発地 ルート 所要時間目安
大阪(阿部野橋) 近鉄急行 → 橿原神宮前 → 飛鳥駅 約50分
大阪(鶴橋) 近鉄特急 → 大和八木 → 飛鳥駅 約45分
奈良 近鉄奈良 → 大和八木 → 飛鳥駅 約60分
奈良(定期観光バス) JR奈良駅発「大神神社と飛鳥めぐり」 石舞台・キトラ・橘寺・飛鳥寺を巡回

現地の移動手段

おすすめ移動
史跡が集中する明日香エリアはレンタサイクル+徒歩が最適。藤原宮跡まで足を伸ばすならバスまたはレンタカーが効率的です。かめバス(村内循環バス)も活用できます。

所要時間の目安

プラン 所要時間 立ち寄りスポット
半日コース 4〜5時間 高松塚・橘寺・石舞台・飛鳥宮跡・飛鳥寺
1日コース 8〜9時間 上記+キトラ古墳・四神の館・藤原宮跡

ベストシーズン

春(3〜5月)と秋(10〜11月)がおすすめです。藤原宮跡は特に、春の菜の花・秋のコスモスが絶景で有名です。真夏は広大な遺跡を歩くのに暑さが厳しいため、できれば避けた方が無難です。

🏛️ 自由研究に使える!飛鳥・藤原の宮都
小学生向け:飛鳥大仏と「日本最古」の謎

飛鳥寺には「飛鳥大仏」と呼ばれる、日本最古の仏像があります。609年に作られた銅造の釈迦如来坐像で、1400年以上前から同じ場所に座り続けています。

調べてみよう:飛鳥大仏はなぜ日本最古と呼ばれるの?どんな材料で作られていたの?当時の人々は仏像を作るためにどこから材料を集めてきたのかな?

ヒント:飛鳥寺は蘇我馬子という豪族が建てました。当時の日本は、中国や韓国(百済)から仏教を取り入れたばかり。渡来人と呼ばれる大陸からの技術者が建設を手伝ったと言われています。

中学生向け:大化の改新は何を変えたのか

645年の乙巳の変で蘇我入鹿が討たれた後、「大化の改新」が始まります。これは単なる政変ではなく、豪族中心の政治体制から天皇中心の中央集権国家への大転換でした。

具体的には、土地と人民を豪族の私有から国家の管理下に置く「公地公民制」、全国を国・郡・里に分ける行政区画の整備、戸籍の作成と税制の統一などが推進されました。

考えてみよう:なぜ飛鳥時代に急にこれほど大きな改革ができたのか?唐(中国)の影響を受けた遣唐使の役割と合わせて調べると、当時の東アジア情勢が見えてきます。

高校生向け:世界遺産基準(ii)(iii)で飛鳥・藤原を論証する

ユネスコの世界遺産登録基準(ii)「価値観の交流」と(iii)「文明の物証」の観点から、飛鳥・藤原の宮都がなぜ「唯一無二」とされるのかを論じてみましょう。

基準(ii)の観点:6〜8世紀の東アジアでは、唐(中国)の律令制度・都城設計・仏教文化が日本列島・朝鮮半島に伝播しました。飛鳥宮跡(掘立柱建築)→藤原宮跡(瓦葺礎石建築・計画都城)という変遷は、この交流の影響を「建築の物質的変化」として読み取れる稀少な事例です。

基準(iii)の観点:慶州(新羅)や洛陽(唐)など東アジアの他の古代都城は「成熟した国家の都」であるのに対し、飛鳥・藤原は「国家が形成される途中の宮都」を連続して示します。ICOMOSはこの点を比較研究上の優位性として評価しました。この差異を自分の言葉で論じることが、高校生レベルの世界遺産論文の核心です。