日本との接点

インドの仏教聖地に、日本人画家が残した大壁画

野生司香雪とムルガンダ・クティ・ヴィハーラの物語

サールナートを調べていて、いちばん意外だったのがこれでした。インドの仏教寺院の壁に、日本人画家が描いたブッダの生涯の大壁画が、今も残っているというのです。古代の聖地と近代の日本が、思いがけずつながっていました。今回はその「日印をつなぐ壁画」の物語をご紹介します。

I. 「古代の遺跡」と「近代のお寺」は別もの

まず整理しておきたいのが、サールナートには名前のよく似た2つの「ムルガンダ・クティ」があることです。ひとつは古代の主祠堂(しゅしどう)の遺構。もうひとつが、今回の主役ムルガンダ・クティ・ヴィハーラで、こちらは1931年に建てられた近代のお寺です。

この近代寺院は、スリランカ系の仏教復興団体マハーボーディ協会によって建立されました。サールナートを「生きた巡礼地」としてよみがえらせようとする、近代の動きの中で生まれたお寺なのです。

野生司香雪による1930年代のブッダの生涯を描いた寺院壁画の接写。落ち着いた土色の顔料
壁画はブッダの生涯を場面ごとに描いている(イメージ)

II. 野生司香雪、5年をかけた大仕事

この寺院の内部の壁画を手がけたのが、日本人画家の野生司香雪(のうす こうせつ)です。京都・平等院の公式サイトによれば、彼は1930年代前半に、約5年をかけてブッダの生涯を描く大壁画を完成させました。

インドの仏教聖地に、日本人がこれほど大きな足跡を残している――。サールナートは、古代の仏跡であるだけでなく、近代の日本仏教が実際に関わった国際的な巡礼地でもあるのです。

※制作年は資料により「1932〜1935年」「1932〜1936年ごろ」と幅があり、画家名のローマ字表記も Nosu / Nasu / Nousu と揺れがあります。記事では「1930年代前半・約5年」とおさえています。

サールナートのムルガンダ・クティ・ヴィハーラ外観。緑の庭に建つ黄土色の高い塔をもつ仏教寺院
ムルガンダ・クティ・ヴィハーラの外観。緑の庭に高い塔がそびえる

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小学生向け|「ものがたり絵」をかいてみよう

野生司香雪は、ブッダの一生を何枚もの絵で“物語”として描いたよ。きみも、好きな昔話や自分の一日を、何コマかの絵にして「壁画ふう」に並べてみよう。絵で物語を伝えるって、どんな工夫がいるかな?

中学生向け|日本とインドをつないだ人々

なぜ日本人画家が、インドのお寺の壁画を描くことになったのだろう? 当時の日本とインド・スリランカの仏教交流や、人と人とのつながりを調べてみよう。一枚の壁画の裏に、国を越えた協力があったことが見えてくるよ。

高校生向け|近代の仏教復興運動という視点

この壁画は、19〜20世紀の「仏教復興運動」の中で生まれた。衰退していたインドの仏跡を、アジア各地の仏教徒が手を取り合って復興させようとした動き(マハーボーディ協会など)を軸に、近代アジアの宗教ネットワークを論じてみよう。

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