なぜ4頭のライオンが、インドの国章になったのか
サールナートの石柱から生まれた、国家のシンボルの物語
インドの紙幣やパスポート、政府の公式書類を見ると、背中合わせに並んだ4頭のライオンの紋章が必ず入っています。私はこのマークがずっと「強そうな国の象徴かな」くらいに思っていたのですが、調べてみると、その正体はサールナートの遺跡から出土した、2000年以上前の仏教美術だと知って驚きました。今回はこの「ライオン柱頭」の物語を掘り下げます。
もともとこの像は、前3世紀のアショーカ王が建てた石柱のてっぺんを飾っていたもの。柱の本体は今もサールナートの遺跡に残り、柱頭の本物はすぐ近くのサールナート考古博物館に大切に収蔵されています。
I. ライオン柱頭は「ブッダの教えを四方へ」のしるし
柱頭をよく見ると、4頭のライオンが東西南北の四方向を向いて座っています。その下の円い台座(アバカス)には、ゾウ・ウマ・ウシ・ライオンの4頭の動物が、それぞれ法輪(ダルマチャクラ)で区切られながら彫られています。法輪=ブッダの教えを象徴する車輪。教えが世界へ転がっていくイメージです。
つまりこの像は、もともと「ブッダがここサールナートで初めて説いた教えを、四方の世界へ広げる」という、仏教の理想を形にしたものでした。力の誇示ではなく、教えの伝播のシンボルだったわけですね。

II. 宗教の象徴から、国家の象徴へ
時は流れて1947年、インドはイギリスからの独立を果たします。新しい国の象徴をどうするか――そのとき選ばれたのが、このサールナートのライオン柱頭でした。一般には1950年にインドの国章として正式採用されたとされています。
古代の宗教遺産が、近代国家のシンボルへと“役割を変えて”受け継がれた――これはとても珍しいことです。サールナートは「仏教の聖地」であると同時に、「今のインドという国の出発点」にもつながっているのです。
※国章の正式な採用日については「1950年1月26日」とする説明が広く見られますが、採用日を直接示す公式ページは確認できる資料の範囲では限られます。記事では「1950年に採用」とおさえるのが安全です。

おうちで深掘り! 学年別・自由研究のヒント
小学生向け|身のまわりの「4頭ライオン」をさがそう
インドの紙幣やパスポート、切手の写真をネットや図鑑でさがして、4頭のライオンの紋章を見つけてみよう。どこに、どんなふうに使われているかな? 日本の「天皇の菊の紋」や、いろいろな国の国章とくらべて、絵にまとめてみると面白いよ。
中学生向け|宗教の象徴が国の象徴に変わるとき
なぜインドは、仏教の遺跡から国章を選んだのだろう? 多くの宗教がある国で、特定の宗教ではなく「古代インドの誇り」として受けとめられたから、という見方がある。歴史・公民・美術がつながるテーマとして、採用までの流れを調べてみよう。
高校生向け|マウリヤ朝の石柱と「磨き」の技術
アショーカ王柱に見られる、鏡のように磨き上げられた砂岩の表面(マウリヤン・ポリッシュ)は、当時の高い石工技術を示す。柱頭の動物表現や法輪のデザインを、ペルシアなど周辺文明の美術と比較しながら、マウリヤ朝美術の特徴を論じてみよう。
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