2026年 UNESCO世界遺産 審査案件

タシケントのモダニズム建築
中央アジアに咲いた「もう一つの近代」

学生時代、ゼミで旧ソ連圏の近代建築をテーマに調べたことがありました。当時いちばん心に残っていたのが、タシケントの建物群です。「ソ連時代のコンクリート建築」と聞くと灰色で無機質なイメージですが、幾何学模様の日除け格子や色鮮やかなモザイクは、その先入観をきれいにくつがえすものでした。その面白さをうまく言葉にできないまま、社会人になってすっかり忘れていたんです。ところが最近、この建築群が2026年のUNESCO世界遺産に登録されそうだと知って、あのときの興奮がよみがえってきました。今回はOWT編集部として、タシケント・モダニズムの全体像をあらためて整理してみます。

いまどんな状況?──2026年、釜山で審査中

まず結論から言うと、タシケントのモダニズム建築はまだ世界遺産に「登録」されていません。2024年に暫定リスト(登録の候補リスト)へ記載され、2026年7月の第48回世界遺産委員会で、新しく登録するかどうかが審査される段階です。会場は韓国の釜山。新規登録の審議は7月24日から始まる予定で、結果しだいでは「世界遺産・タシケント」が誕生することになります。

世界遺産の登録には、いくつもの段階があります。まず各国が「候補になりそうな場所」を暫定リストに載せ、そのなかから正式に推薦書を提出。専門機関がそれを審査して報告書を出し、最後に各国の代表が集まる世界遺産委員会が決定する——という流れです。タシケントはいま、その最終段階の一歩手前にいる、と考えるとわかりやすいと思います。

基本データ
正式名称 Tashkent Modernist Architecture
(タシケントのモダニズム建築――中央アジアにおける近代性と伝統)
推薦国 ウズベキスタン
審査 第48回世界遺産委員会(2026年7月19〜29日・韓国 釜山)
現状 暫定リスト記載(2024年)/登録は未定

審査にあたっては、専門家の諮問機関であるICOMOS(イコモス=建築や遺跡の価値を評価するUNESCOの専門機関)が、評価書のなかで登録を推薦しています。ただし、対象のうち郊外にある巨大な「太陽炉」だけは外すよう勧告しました。推薦資産の数も動いていて、2024年の暫定リストでは16件、2026年の正式推薦では10件、ICOMOSが登録を推薦したのは9件、という流れになっています。専門機関が「登録すべき」と判断しているのは、後押しとして大きな意味を持ちます。

なぜこの街に近代建築が集まったの?

きっかけは、1966年に起きた大きな地震でした。タシケントの中心部が大きな被害を受け、数十万人が住まいを失ったと伝えられています。当時のソ連はこれを「一気に街を近代化するチャンス」と捉え、全土から建築家・労働者・資材を送り込んで、わずか数年で街を再建したと言われます。その復興は「諸民族の友好」というスローガンのもと、社会主義の“ショーケース”として進められました。

つまりタシケントのモダニズム建築の多くは、1960年代から1980年代にかけて、この復興の流れのなかで生まれたものです。幅の広い大通り、大きな文化施設、規格化された集合住宅群——短期間に、しかも国家プロジェクトとして一気に整備されたからこそ、これほど密度の高い近代建築の街ができあがったのです。

おもしろいのは、ここで生まれた建築が西欧のモダニズムの単なるコピーではなかったことです。コンクリートや大空間といった近代技術を土台にしながら、中央アジアの伝統──透かし彫りの日除け格子「パンジャラ」、青いタイル、中庭を囲む集合住宅の発想──を織り込みました。研究者はこれを「近代の土着化」と呼びます。灰色一色ではない、地域の顔を持った“もう一つの近代”。それがタシケント・モダニズムの正体です。

タシケントの人民友好宮殿、イスラーム文様とブルータリズムが融合した幾何学スクリーンのファサード、中央アジア・ソビエト・モダニズム建築の代表作
人民友好宮殿。近代的な大空間に、伝統的な格子模様のファサードを組み合わせた代表例

「パンジャラ」が語る、暑い国の知恵

タシケント・モダニズムを一つの要素で説明するなら、私はやっぱりパンジャラを挙げたいです。もともとは中央アジアの伝統建築で使われてきた、透かし彫りの格子。強い日差しをやわらげ、風を通し、それでいて美しい——機能と装飾を同時にこなす、暑く乾いた土地ならではの知恵です。

タシケントの建築家たちは、これをコンクリートで大きく作り直し、近代建築のファサード全体を覆う日除けスクリーンとして復活させました。真っ白なコンクリートの壁面に、伝統文様の影が刻々と落ちていく。西欧のガラス張りビルとはまったく違う、この土地の気候と文化に根ざした近代建築が、こうして生まれたのです。ゼミで写真を見たとき、私が言葉にできなかった魅力の正体は、たぶんこれでした。

タシケントのモダニズム建築を特徴づけるコンクリート製パンジャラ透かし格子、伝統意匠を近代化した日除けスクリーンが落とす幾何学的な影
パンジャラ(透かし格子)。日除け・通風・装飾を兼ねる、伝統を近代化した仕掛け

おさえておきたい代表建築

推薦されている建物は、劇場・博物館・市場・地下鉄駅までさまざま。どれも用途はまったく違うのに、「近代技術×地域の伝統」という共通の設計思想でつながっています。街歩きで出会いやすいものを、いくつかピックアップしてみました。

人民友好宮殿
4,000席を超える巨大なホール。格子模様のファサードが街のランドマークに。

国立歴史博物館
立方体のかたちに、イスラーム文様を思わせる反復パネルをまとった建物。

国立サーカス
3,000席の円形パビリオン。“UFOみたい”とよく言われる殻のような屋根。

チョルスー・バザール
青いタイルの巨大ドームで覆われた市場。いまも現役の台所として大にぎわい。

コスモナフトラル駅
宇宙飛行士をテーマにした地下鉄駅。星形の照明が並ぶ“地下の宇宙”。

テレビ塔
高さ約375m。地震を意識した構造で、展望台と回転レストランを備える。

なぜ今、世界遺産なのか

「ソ連時代の建物が世界遺産に?」と意外に思う方もいるかもしれません。でも、ここには大切な意味があります。世界遺産のリストは、これまでヨーロッパの古い建築や有名な遺跡に偏りがちでした。20世紀の近代建築、それも西欧の外で花開いたものは、まだまだ光が当たっていません。タシケント・モダニズムは、その「抜け落ちていたページ」を埋める候補なのです。

もう一つは、保存の緊急性です。近年、こうした建物は「古くさい」「ソ連の遺物」と見なされ、取り壊されるケースが出ています。世界遺産という後ろ盾は、街の記憶を未来へ残すための強力な歯止めになります。学生時代の私がうまく言葉にできなかった価値に、いま世界的なお墨付きが与えられようとしている——そう思うと、7月の審査から目が離せません。

自由研究のヒント
学年に合わせて、深掘りのテーマを用意しました

小学生むけ|地震のあと、街はどう変わった?
1966年の地震のまえと、そのあとで、タシケントの街の写真をくらべてみましょう。どんな建物がふえたかな? 地震が「まちづくり」のきっかけになることもある、というのは意外なポイントです。気づいたことを絵や表にまとめると、りっぱな自由研究になります。
中学生むけ|「伝統」と「近代」の組み合わせ方
パンジャラ(透かし格子)に注目してみましょう。日差しをやわらげ、風を通し、しかも美しい。ひとつの仕掛けが「機能」と「装飾」を両立しています。日本の建築で似た工夫(すだれ・格子戸・障子など)も探すと、比較レポートになります。気候と建築の関係を考える切り口としてもおすすめです。
高校生むけ|「ソ連の遺産」をどう扱う?
同じソ連時代のモニュメントでも、撤去する国もあれば、保存する国もあります。ウズベキスタンはなぜ「残す」を選んだのか。植民地化と脱植民地化、都市の記憶、観光戦略といった視点から、賛否を整理してみると深い探究になります。世界遺産リストの「偏り」という論点とも接続できます。

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