白川郷が世界遺産になったのはなぜ?理由と魅力を解説

「白川郷が世界遺産なのはなぜ?」と疑問に思い、この記事にたどり着いた方も多いのではないでしょうか。日本の原風景とも言える白川郷ですが、世界遺産 白川郷・五箇山は何県と何県にあるのか、また白川郷と五箇山はなぜ2つあるのか、詳しくご存じない方もいらっしゃるかもしれません。
この記事では、そもそも合掌造りはなぜ建てられたのか、そして江戸時代に秘密裏に行われていたことまで、その歴史を掘り下げて解説します。合掌造りが世界遺産に登録された理由は?という根本的な疑問から、白川郷の世界遺産はなぜ守られる?という、その背景にある住民の皆様の努力にも光を当てます。
一時期は合掌造りはなぜ減ったのかという存続の危機もありましたが、今、なぜ評価されているのか、その合掌造り集落の魅力とは何かを解き明かします。さらに、ひぐらしの聖地としての白川郷という文化的な側面や、維持に多額の費用がかかるにもかかわらず、白川郷が世界遺産であるのはなぜか、そしてなぜ安いと感じられるほどの費用で訪問できるのか、その理由も含めて総合的にご紹介します。

この記事で分かること
- 白川郷が世界遺産に登録された具体的な理由
- 合掌造りが持つ歴史的な背景と建築の秘密
- 白川郷と五箇山の違いやそれぞれの魅力
- 世界遺産を守り続けるための取り組みと現状
白川郷が世界遺産になったのはなぜ?
- 世界遺産 白川郷・五箇山は何県と何県にある?
- 白川郷と五箇山はなぜ2つあるのか
- 合掌造りはなぜ建てられたのか
- 江戸時代に秘密裏に行われていたことは
- 合掌造りが世界遺産に登録された理由は?
世界遺産 白川郷・五箇山は何県と何県にある?
世界遺産として登録されている「白川郷・五箇山の合掌造り集落」は、岐阜県と富山県の2県にまたがって存在しています。どちらも険しい山々に囲まれた、庄川(しょうがわ)流域に位置しています。
具体的には、以下の3つの集落が登録対象です。
- 白川郷(しらかわごう):岐阜県大野郡白川村の荻町(おぎまち)集落
- 五箇山(ごかやま):富山県南砺市(なんとし)の相倉(あいのくら)集落
- 五箇山(ごかやま):富山県南砺市(なんとし)の菅沼(すがぬま)集落
一般的に「白川郷」というと、この世界遺産に登録された荻町集落を指す観光地名として広く知られています。荻町集落は、現存する合掌造りの数が約60棟と最も規模が大きく、観光地としても中心的な役割を担っています。
一方で「五箇山」は、かつて40ほどの小さな集落が存在した地域の総称です。そのうち、今も合掌造りがまとまって残る相倉集落(約20棟)と菅沼集落(9棟)が、世界遺産に登録されました。
補足:白川郷と五箇山の距離
白川郷(荻町)と五箇山(菅沼)は、同じ庄川流域にあり、その距離は比較的近いです。車であれば東海北陸自動車道を経由して約20km、30分ほどの距離感で移動することができます。そのため、両方の世界遺産集落を一日で巡ることも十分可能です。
白川郷と五箇山はなぜ2つあるのか
白川郷と五箇山が別々の地域として認識されながら、1つの世界遺産として登録されているのには、江戸時代の統治(支配領域)に理由があります。
もともと、両地域は同じ庄川流域にあり、急峻な山々に囲まれた「陸の孤島」とも呼ばれる環境で、合掌造りという共通の建築文化を育んできました。しかし、江戸時代には統治する藩が異なっていました。
| 地域名 | 江戸時代の統治 | 文化圏 |
|---|---|---|
| 白川郷 | 飛騨高山藩(後に幕府の直轄地である天領) | 「飛騨高山」の文化圏 |
| 五箇山 | 加賀藩(前田家) | 「越中富山」の文化圏 |
このように、行政区画が異なっていたことから、それぞれ「白川郷」「五箇山」として独自の歴史を歩むことになりました。この違いは建築様式にも微妙な影響を与えており、例えば、白川郷の合掌造りは屋根の茅葺きの端が直線的にスパッと刈られているのに対し、五箇山は丸みを帯びて刈られているといった特徴が見られます。これは、白川郷が武家(幕府)の文化を反映した力強さ、五箇山が加賀藩の雅な文化を反映したしなやかさを表している、という説もあります。
1つの世界遺産としての登録
統治は異なりましたが、両地域は「豪雪地帯の厳しい自然環境に適応し、養蚕という産業を軸に発展した、合掌造りという特異な建築文化を持つ集落群」という共通の文化的価値が評価されました。そのため、1995年に「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として、1つの遺産群としてまとめて世界文化遺産に登録されたのです。
合掌造りはなぜ建てられたのか
合掌造りという独特な建築様式が生まれた理由は、主に「豪雪地帯の気候」と「養蚕(ようさん)という産業」の2つに、最大限に適応するためでした。まさに先人の知恵の結晶と言えます。

1. 豪雪への適応
白川郷・五箇山地域は、世界でも有数の豪雪地帯です。冬には積雪が2メートル、多い時には4メートルを超えることも珍しくありません。この大量の「重たい雪」に対処するため、合掌造りの屋根は約60度もの急勾配に設計されています。
この急な角度により、屋根に積もった雪は自然に滑り落ちやすくなり、危険な雪下ろしの負担を大幅に軽減できます。また、雪の重みで家屋が倒壊するのを防ぐという、最も重要な役割を果たしていました。
さらに、白川郷の荻町集落では、多くの家屋が屋根の「平(ひら)」側(広い面)を東西に、三角形の「妻(つま)」側を南北に向けて建てられています。これは、谷を吹き抜ける強風の影響を最小限に抑えつつ、屋根の両面に効率よく日光を当てて雪解けを促すための合理的な配置とされています。

2. 養蚕のための空間確保
江戸時代中期から、山がちで米作に適さないこの地域では、貴重な現金収入源として養蚕が盛んになりました。合掌造りの大きな特徴は、屋根裏の空間(小屋裏)を無駄なく活用し、2層から3層、多いものでは4層にもなる多層階として利用している点です。
この広く確保された屋根裏空間は、蚕(かいこ)を育てるための「蚕室(さんしつ)」として最適でした。さらに、この構造は養蚕に驚くほど合理的でした。
- 保温:1階の住居部分にある囲炉裏(いろり)から立ち上る熱と煙が、床の隙間を通って屋根裏全体を暖め、蚕の生育に適した温度を保ちます。
- 防虫・防腐:囲炉裏の煙に含まれる「すす」や「タール」が、建材である木材や茅を燻(いぶ)すことで、虫食いや腐食を防ぐ天然の防腐剤の役割を果たしました。
- 通気性:前述の妻側にある窓を開けることで、屋根裏に効率よく風を通し、蚕の生育環境を良好に保つことができました。
このように、合掌造りは「住居」であると同時に、養蚕という産業を行うための「工場」でもあったのです。
江戸時代に秘密裏に行われていたことは
合掌造りの多層的な利用は屋根裏だけではありません。その床下では、江戸時代、あるモノが秘密裏に製造されていました。それは、火薬の原料となる「塩硝(えんしょう)」です。
塩硝は、鉄砲に使われる黒色火薬の主成分(硝酸カリウム)です。戦国時代以降、火薬の国内需要は高まりましたが、原料の硝石は日本ではほとんど産出されず、輸入に頼っていました。
しかし、五箇山を統治していた加賀藩は、この地で塩硝の製造に成功します。当時、塩硝の製造技術は重要な軍事機密であり、加賀藩は藩の財源と軍事力を支えるため、その製造を厳重に管理しました。

床下で行われた塩硝づくり(培養法)
白川郷・五箇山地域は、四方を険しい山に囲まれ、冬には雪で交通が遮断される「陸の孤島」でした。この閉鎖的な環境が、塩硝製造の秘密を守るのに最適だったのです。
製造は「培養法」と呼ばれ、合掌造りの家屋の床下を掘り、そこに畑の土、ヨモギなどの野草、養蚕から出る大量の蚕のフン、そして人間の尿などをかけて発酵させる方法でした。床の上では家族が生活し、囲炉裏で暖められた床下で、4〜5年かけて火薬の原料が秘密裏に作られていたのです。
白川郷(天領)の和田家などでも焔硝作りは行われていたとされ、この地域で生産された塩硝は「加賀塩硝」と呼ばれ、一向一揆や石山合戦で使用されたとも伝えられています。幕末に至るまで、この地域の経済を支える重要な産業の一つでした。
合掌造りが世界遺産に登録された理由は?
合掌造り集落が1995年に世界遺産に登録されたのは、その特異な建築様式だけでなく、それを支える伝統的な社会システムが今もなお息づいている点が高く評価されたためです。
ユネスコ世界遺産センターの公式サイトによると、白川郷・五箇山は以下の2つの登録基準を満たしたとされています。
世界遺産 登録基準
- 基準(iv):人類の歴史上重要な時代を例証するある形式の建造物、建築物群技術の集積、または、景観の顕著な例。
- 基準(v):ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的な集落や土地利用の顕著な例。または、取り返しのつかない変化の影響で危機にさらされているもの。
これを分かりやすく解説すると、評価されたポイントは大きく2つあります。

1. 環境と産業に適応した建築様式(基準 iv)
前述の通り、豪雪という厳しい自然環境に適応した急勾配の茅葺き屋根と、養蚕や塩硝製造といった産業(家内制手工業)と直結した合理的な空間利用が、世界にも類を見ない独特な建築文化として評価されました。

2. 「結(ゆい)」という相互扶助の精神(基準 v)
世界遺産登録の決め手ともなったのが、「結(ゆい)」と呼ばれる住民同士の相互扶助の伝統です。これは「基準 (v)」の「伝統的な集落」の核心部分と言えます。
合掌造りの巨大な茅葺き屋根は、30年~40年に一度、全面的に葺き替える必要があります。この作業には莫大な費用と数百人もの人手がかかりますが、集落の住民が総出で協力し合い、無償で作業を行う「結」によって、代々受け継がれてきました。
この「建物(ハード)と、それを支える人々の暮らし・文化(ソフト)」が一体となって価値ある景観を形成している点、つまり「生きている遺産(Living Heritage)」である点が、世界遺産として認められる最大の理由となったのです。
白川郷の世界遺産はなぜ守られる?
- 合掌造りはなぜ減ったのか
- 今、なぜ評価されているのか
- 合掌造り集落の魅力とは
- ひぐらしの聖地としての白川郷
- 白川郷が世界遺産であるのはなぜか
合掌造りはなぜ減ったのか
かつては庄川流域に1,800棟以上あったとされる合掌造り家屋ですが、昭和中期にかけて急速にその数を減らし、現在では白川郷・五箇山を合わせても200棟以下となっています。その主な理由は、「ダム建設による水没」と「生活様式の近代化」という、時代の大きなうねりによるものでした。
最大の理由:ダム建設による水没

昭和20年代から始まった庄川流域の電源開発計画(ダム建設)が、合掌造り集落にとって最大の危機となりました。特に1961年に完成した御母衣(みぼろ)ダムの建設では、多くの集落がダムの底に沈むことになりました。
この時、集落の約3分の1にあたる300戸近い合掌造り家屋が水没の対象となったとされています。一部の家屋は移築されましたが、多くが失われ、これが家屋が激減した最大の要因です。
生活の近代化と維持の困難さ
戦後、日本の生活様式が急速に近代化する中で、合掌造りでの暮らしは不便な面が目立つようになりました。特に、主要産業だった養蚕業が化学繊維の台頭などで衰退すると、広い屋根裏空間は不要なものとなっていきます。
莫大な維持管理費と生活の変化
合掌造りを維持する上で最大の課題が、茅葺き屋根の葺き替え費用です。前述の「結」によって人手は確保できても、材料となる茅の確保や専門職人の費用はかかります。葺き替えには1,000万円から3,000万円もの費用が必要とも言われ、その負担は計り知れません。
また、茅葺き屋根は火災に非常に弱いという根本的な弱点もありました。こうした負担やリスク、そして近代的な生活への憧れから、維持を諦めて便利な現代住宅に建て替える家も増えていったのです。
今、なぜ評価されているのか
合掌造りが「負の遺産」として消えゆく寸前だった中、その価値が再評価され、世界遺産登録、そして現代における「持続可能な観光地」として評価されるようになった背景には、住民による懸命な保存活動がありました。
1. 住民による保存活動の始まり
1970年代、高度経済成長の中で古い家屋が次々と壊されていく風潮に危機感を抱いた住民たちが、「日本の原風景を守ろう」と保存活動を本格化させました。1971年(昭和46年)には、白川郷荻町集落で「売らない・貸さない・壊さない」という三原則からなる住民憲章が定められ、住民一丸となって景観を守る取り組みが始まったのです。
2. 「持続可能な観光地」としての評価
世界遺産登録後、年間200万人以上が訪れる有名観光地となった白川郷は、「オーバーツーリズム(観光公害)」という新たな課題に直面しました。しかし、地域住民が主体となってこの問題に取り組み、観光と生活の両立を目指す姿勢が、今改めて高く評価されています。
この取り組みが評価され、2020年にはオランダのNGO「Green Destinations」によって「世界の持続可能な観光地100選」に選出されました。評価された主な取り組みは以下の通りです。
- 完全予約制の導入:観光客が殺到する冬のライトアップイベントを完全予約制にし、混雑(オーバーツーリズム)を緩和。
- 徹底した防火対策:燃えやすい茅葺き屋根を守るため、住民総出で放水銃の一斉放水訓練を定期的に実施。さらに、景観に配慮した加熱式たばこ専用ブースを設置し、火災リスクを低減。
- 「結」の精神の継承:茅葺き屋根の材料となる茅(かや)を刈る作業をツーリズムに組み込み、外部の人も「結」の一部として受け入れる

白川郷で行われる一斉放水訓練の様子
ただし、近年は住民の高齢化や後継者不足により、「売らない・貸さない・壊さない」の三原則、特に「貸さない」という原則の維持が困難になりつつあります。このため、一部のルールを見直し、地域外からの新たな人材を受け入れるルールづくりも模索されています。
単なる古い景観ではなく、伝統的な助け合いの精神(結)を現代に活かし、現実的な課題と向き合いながら解決に取り組む姿勢こそが、今、世界から評価されている理由です。
合掌造り集落の魅力とは

合掌造り集落の最大の魅力は、四季折々に表情を変える息をのむような美しい景観と、その中で今もなお「人の営み」が続いている点にあります。
春の田植えの水面に映る逆さ合掌、夏の鮮やかな緑と青空、秋の黄金色の稲穂と紅葉、そして冬、すべてを白く覆い尽くす雪景色。特に雪に包まれた合掌造りがライトアップされる光景は、 まるでおとぎ話の世界のような幻想的な美しさです。
世界遺産の多くは「遺跡」や「建造物」ですが、白川郷・五箇山は「今も人々が生活を営む場所」であるという点が非常にユニークです。私たちが訪れる場所は、観光地であると同時に、住民の方々の大切な暮らしの場。そのことを忘れずに、敬意を持って訪れたいですね。

また、前述の通り、白川郷と五箇山ではその雰囲気も異なります。それぞれの特徴を理解して訪れると、より深く楽しむことができます。
| 集落名 | 所在地 | 合掌造りの数 | 特徴・雰囲気・体験 |
|---|---|---|---|
| 白川郷(荻町) | 岐阜県白川村 | 約60棟 | 規模が最も大きく、観光地として整備されている。「和田家」など内部見学可能な家屋や、土産店・飲食店も多く賑やか。展望台からの眺めも有名。 |
| 五箇山(相倉) | 富山県南砺市 | 約20棟 | 田畑に囲まれ、より素朴な山村の原風景が色濃く残る。「相倉民俗館」や民宿もあり、生活感が感じられる。和紙漉き体験も可能。 |
| 五箇山(菅沼) | 富山県南砺市 | 9棟 | 最も小規模でこぢんまりとしている。庄川のほとりにあり、のどかな雰囲気を楽しめる。「塩硝の館」では塩硝づくりの歴史を学べる。 |
ひぐらしの聖地としての白川郷
白川郷は、近年、文化的な側面からも大きな注目を集めています。それは、2000年代に大ヒットした大人気ゲーム・アニメ作品『ひぐらしのなく頃に』の舞台である「雛見沢村(ひなみざわむら)」のモデルとなったためです。
作中には、白川郷に実在するスポットが数多く登場し、物語の世界観を強く印象付けています。
- 白川八幡神社:物語の重要な舞台であり、祭りの舞台となる「古手神社」のモデル。
- 和田家:主要キャラクターの家である「園崎家」のモデルとされる大きな合掌造り家屋。
- であい橋:集落と駐車場を結ぶ庄川にかかる吊り橋で、作中でも印象的に描かれています。
- 城山天守閣展望台:集落を一望できる展望台で、オープニング映像などに登場します。
これにより、世界遺産としての側面だけでなく、「聖地巡礼」として国内外から多くの若い世代のファンが訪れるようになりました。白川八幡神社には、ファンが奉納した『ひぐらしのなく頃に』のイラストが描かれた絵馬が多数掛けられており、伝統的な集落における新たな文化交流の場ともなっています。
聖地巡礼の注意点
前述の通り、白川郷は住民の方々が生活している場所です。聖地巡礼で訪れる際は、早朝や夜間の訪問を避け、大声を出したり、私有地に無断で立ち入ったりすることのないよう、住民の方々の生活への配慮を最優先にしてください。訪問前には白川郷観光協会の公式サイトなどでマナーを確認し、ルールを守って楽しみましょう。
白川郷が世界遺産であるのはなぜか
最後に、白川郷が世界遺産である理由、そして私たちが今もその美しい姿を訪れることができる理由について、この記事の要点をまとめます。
- 世界遺産「白川郷・五箇山」は岐阜県と富山県にまたがる
- 白川郷は岐阜県、五箇山(相倉・菅沼)は富山県にある
- もともとは同じ庄川流域の文化圏だが江戸時代の統治が異なった
- 合掌造りは豪雪気候への適応と養蚕業のために建てられた
- 急勾配の屋根は雪下ろしの負担を減らすため
- 広い屋根裏空間は養蚕の作業場として合理的に活用された
- 江戸時代は加賀藩の軍事機密として火薬原料の塩硝が作られた
- 合掌造りの建築様式と伝統的な暮らしが評価され世界遺産になった
- 決め手は「結(ゆい)」という住民の相互扶助の社会システム
- 合掌造りが減った最大の理由はダム建設による水没
- 養蚕業の衰退と莫大な維持費も減少の要因
- 住民による「売らない・貸さない・壊さない」三原則で景観が守られた
- 「世界の持続可能な観光地100選」にも選ばれるなど今も評価されている
- 四季折々の景観と今も続く「生きている遺産」であることが最大の魅力
- 「ひぐらしのなく頃に」の聖地としても知られ多くのファンが訪れる
- 私たちが訪問できるのは住民の懸命な保存活動と未来へ繋ぐ努力のおかげ
私たちが比較的安価にこの貴重な遺産を訪問できるのも、観光地としての整備努力に加え、今も続く住民の皆様による「結」の精神に代表される、並々ならぬ維持活動が根底にあるからこそと言えるでしょう。